結局、弘幸は2番で酔いを醒ましては13番に戻り、また2番で醒ますの繰
り返しをしながら、ついにラストの時間になってしまった。
「佳織!ちょっと!」
送り際に、直樹さんがエレベーターの入り口で佳織を呼び止めた。
真剣な顔をして、直樹さんは佳織に何か話しかけている
「ううん、違う」
首を左右にふりながら、佳織は否定して少し目を伏せた。
「………」
少し、切ない表情で目を潤ませながら佳織は直樹さんを見つめた。
「もう、いいのか?」
佳織は軽くうなずきながら、細いしなやかな指を下まぶたに当て、涙をぬぐっ
ている。
一体、どんな会話をしているのだろうか?
和美ちゃんも、弘幸も、もちろんオレまでもが、遠慮して遠巻きに二人の姿を
見ているしかできなかった。
以前に、学校近くのカフェで二人を見た時もそうだったけど、なぜかこの二
人には入り込めないような雰囲気がある。
オレは胸がチクリと痛むのを感じた。
それは、アルコールのせいなんかじゃなくて、ジェラシーって名前の感情で、
酷く直樹さんに嫌悪して、佳織を独り占めしたい衝動に駆られた。
今、なんでオレは動かないんだろうか?
離れた所から、見てるだけで、動けない。
こんな感情を、恋をすれば誰もが抱くものなのか?
それとも、みんな幸せな気持ちでいっぱいなのか?
ドロドロとした、イヤな気持ちですべてが満たされそうな程、オレは嫉妬していた。
「じゃあ、またメールするね♪」
佳織は、足早に俺たちの待っている所に戻ると、さっきの切ない顔を笑顔に変えて、
オレに手を振った。
「…ああ、じゃあな」
自分でも驚く程その声は低く、そして暗かった。
ああ、佳織の顔をまともに見れない。
こんなにも、胸が痛くなるなんて知らなかった。
佳織の後ろ姿がどんどん小さくなるのを見つめながら、オレはすごく自己嫌悪に
陥った。
こんな事くらいで、いちいち嫉妬しないくらいの、いい男になりたい!
佳織が安心して、オレに相談できるような男になりたい!
直樹さんの前では泣けても、オレの前では泣けないような、そんな情けない男じゃ
なくて、しっかりと、頼れるような男になりたい!
そう思っているのに、なのに、店に戻ってミーティングが始まると、オレの
視線は直樹さんばかり追いかけてしまう。
この人は、佳織とどんな時間を過ごしていたのだろうか?
さっきは、何を話していたのだろう…。
今でも、好きなんだよな?
オレよりも、佳織を好きなのか?
現在の彼氏である、オレに嫉妬したりはしないのか?
「勇哉!」
不意に、名前を呼ばれた。
え?
「オレ?」
マスターはうなずいた。
「今日の反省は?」
ああ、えっと、何だっけ?
「…ああ、そうか今日は営業中に、モメテしまってすみませんでした」
「それについて、オレからもあるんだけど、いいかな?」
直樹さんが手をあげて、周りを見た。
フロアの中央にホストがみんな集まってのミーティング。
「元々は弘幸が武志の客とアフターしたのが、悪いんだけど、それについては
オレもマスターもまだ説明してなかったから、オレらも悪いと思ってる。ただ、
その後に武志が弘幸を潰すつもりで場内をかけたとしたら、ソレってすごく陰険
なんじゃないか?」
話をふられて、武志は慌てて否定をした。
「別にそんなつもりじゃなく、ただ客が弘幸としゃべりたいって言ったか
ら…」
嘘をつくなよ!!
オレはギロリと武志をニラんだ。
「嘘つき!!、確かにオレは聞いたんだ。
あの女がもっと弘幸を酔わせた方がいいか、武志に尋ねてたのを!!」
「はいはい、勇哉はもう少し落ち着こうね。
まず、お客様を『あの女』って呼ばない事。それから、武志は君の先輩なんだか
ら、呼び捨てにしないように」
マスターはオレに一言注意をしてから、一度区切りを置いて、今度は武志に向き
を変えた。
「今後、同じような事をしたらそのときは、その客の入店禁止と、ホスト本人に
も罰金を払ってもらう事にする。わかったか?!」
「なんだよそれ!
同じようなことって、場内指名をかけるなって意味かよ?」
武志はムッとして、マスターに食ってかかる勢いで聞いた。
マスターはため息混じりに、言った。
「そうじゃないだろ?
明らかに悪意を伴った場内、あるいは本指名をかけた場合って意味だ!
今日、お前がしたのはそういう事だろうが」
「なんだよそれ?
オレが悪いのかよ?
やってらんねぇよっっっっ!」
そう言うと、武志はフロアから出て、更衣室に入った。
「ちょっと!!!」
弘幸がその後を追いかけようとしたけど、直樹さんに止められている。
「放っておけばい、いやならやめてもらっても構わないんだし」
え?
サラリと言ってのけた直樹さんの顔をマジマジと見つめてしまった。
そんなにあっさりと言っていいのか?
元々悪いのは弘幸なんだろ?
なのに、なんで武志の方が辞める事になるんだ??
「ちょうどいいから、みんなも聞いてくれ。
俺たちは仲良くホストをしているわけじゃないし、お互いの客を取った取られた
って事もあるだろうし、大変だろう事はわかってる。
でも、人の客とのアフター・同伴それに電話番号を聞くことも禁止だ。
それと、他のホストに対する過度の嫌がらせも禁止だ。これらの事を守れないな
ら、辞めてもらっていい。
でも、どこの店でもこんな事は常識だぞ」
そこで、ミーティングは終了した。
更衣室に入ると、京介さんが武志と話していた。
「今日の事は、オレもお前が悪いと思うよ」
「なんで?最初に弘幸がちえりとアフターしたからだろ?」
「だからそれは、本人に悪いなんて教えてなかったんだし、後輩の失敗を一度く
らいは許す度量が欲しいって言ってるの」
「挙げ句の果てに、殴られたのに?」
「…そうだよな。でも、もう気にするなよ。今度からはアイツらだっ
て気を付けるだろうし、お前ももうあまり関わるなよ!」
「……………。」
そんなやりとりを聞いていた弘幸が、オレの耳元でこっそりとささやいた。
「なんか、部活みたいなノリだよな」
ああ、ホントだ!
先輩後輩とかの年功序列とか、ルールとかさ…。
でも、まあこれで一段落ついたって感じだよな?
それよりも、オレは佳織と直樹さんの事が気になってるんだ!
弘幸の事なんかより、おれにはよっぽど切実なんだよ!!!
「今日はどうするんだ?
また佳織ちゃんの所へ行くのか?」
更衣も終えて、エレベーターを降りると、弘幸がタクシーを止めた。
「そうする」
もう、遠慮とかしたくないし、一人で不安になるのもイヤだった。
ちゃんと佳織の口から、聞きたいと思った。
さっき、なんで泣いていたのか、直樹さんと何を話していたのか。
ほんの一瞬で、しかも遠くから横顔しか見てないけど、確かに彼女は泣いて
いた。
違う男と、会話をしながら………。
ソレってどんな意味なんだろうか?
佳織の切ない横顔が、頭から離れない。
その顔を思い出すたびに、オレの心はチクリと何かが刺さったような悲しい痛み
に浸されてしまう。
かなり不安な気持ちで佳織の部屋のチャイムを鳴らした。
なんか、生活指導に呼び出しを受けた時のイヤァな緊張感にも似た、何とも言え
ない感情があった。
ややして、眠たそうな佳織の声が届いた。
「……はい、どちら様?」
「おれ、勇哉だけど」
ガチャリとドアが開き、そこからTシャツ姿の佳織がやっぱり寝ていたのだろ
う、目を少し赤くして、オレを迎えてくれた。
「お疲れ様!びっくりしちゃった。今日約束してなかったから、寝てたよ。
えへへ」
少し恥ずかしそうに笑いながら、佳織はコーヒーを淹れてくれた。
元々、この部屋にはコーヒーメーカーがあって、来ると必ず淹れてくれるんだけ
ど、持ち主である佳織はコーヒーが飲めないって言うから、不思議だよな。
それならインスタントでもいいだろうに。
「熱いから、気を付けてね」
差し出されたコーヒーに口をつけながら、オレはどう話しを切 り出すか、
考えていた。
佳織はもうさっきの事なんか忘れて、眠っていたくらいだし 、
それにやっぱり、オレが踏み込んでいい話題なのかが気になる。
でも………。
「何か食べる?仕事した後って、なんか妙にお腹空いちゃうん
だよね。太るのわかってるのに、食べたくなっちゃう」
お腹辺りの脂肪をつまみながら、ちょっと気にしてるのよねと 、十分スタイ
ルのいい身体に不満そうにしながら、佳織はオレ の顔を見た。
その目はなんだか妙に色っぽくて、クラクラしそうだ。
「うーんそうだよな。
でも佳織はスタイルいいよ!少しくらい太ったって 大丈夫だって」
「あ!それって胸が小さいとか言いたいのかな?勇哉くんは?」
今度は胸に手を押さえて、小さく首をかしげた。
どんな仕草をしても、どんな言葉を言っても、すべてがかわいく見えて、どんど
んとオレは佳織を好きになって行くのがわかる。
「違うって!佳織はスタイルいいって意味だよ」
今だって、Tシャツしか着ていないから、細いラインを描くき
れいな生足を惜しげもなくだして、オレを誘惑している。
キッチンに立って、鍋を暖めながら、ちらりとこっちを覗くその流し目だって、
すべてがオレをドキドキさせている。
そう、まるで童貞の男みたいにさっきから心臓がバクバクしている。
って!違う!!!
オレは確かにやりたい盛りだけど、今日は違う!
ちゃんと、佳織と会話をしに来たんだ。
「佳織さぁ、さっき泣いてなかった?ちょっと心配になって…」
言った途端にオレは後悔した。
佳織の顔が一瞬で変わったから……。
目を伏せて、唇を噛みながらジッとオレを見ている。
そんなに言いにくいことなのか?
直樹さんには相談できても、オレには頼れないのか?
オレが年下だから?
「ちょっと、知り合いの痴話ケンカに巻き込まれたのよ。直樹
はその知り合いとも顔見知りだったから…」
うつむきながら、悲しそうに顔を曇らせて言うセリフなのか、それが?
ただケンカに巻き込まれただけなのに、なんで泣いていたんだ?
深く追求したいのに、怖くてこれ以上踏み入れない。
今まで言いたくないことを無理に聞こうと思ったことも興味を持ったことすら
なかった。
どうでもよかった、そんなこと。
でも、今は気になって仕方がない。
佳織を悲しませてる事柄って何なのだ?
そんなに暗い表情の中に、何を隠しているの?
すべての疑問が言葉にならずに、喉の奥に詰まって、オレは苦しかった。
頼りにされていない事実と、何もできない不甲斐無さに、どうにかなりそうだ。
オレは佳織の泣き顔なんて見たことがない!
あんな「女」の表情をベッド以外でさせたことがないなんて、
それって恋人として、違うんじゃないだろうか?
「オレには言えないようなことなのか?」
やっと勇気をふりしぼったのに、佳織はうつむいたまま首を左右に振った。
「そうじゃないの…………。そうじゃないけど、今は言いた
くないの。私の気持ちが落ち着くまで、触れて欲しくない話題なの…」
???????
佳織の気持ちが落ち着くまで?
なんだよそれ?
何に心揺らされてるんだ、一体?
謎は深まるばかりで、それなのに全然解決しなくて…もっと落ち込みそう。
ここまで聞いても教えてくれないら、もう無理だろう。
わかっているのに、それなのに…。
「もういいよっっ!」
勢いにまかせて玄関を飛び出した。
くっそ!
一体なんなんだよ!
オレは佳織の彼氏だろ?それなのに、彼氏には言えないような事を直樹さん
になら言えるのか?
ああああああああああ!!
むかつく!!
家に帰っても、全然眠くならないどころか、ドンドン頭が冴えて、佳織に対
するむかつく気持ちが増してくる。
なんで追いかけて来なかったんだよ?
なんで電話もメールもしてこないんだよ?!
……………。
イライラする!!!
「もしもし淳司?」
時計の針はもう朝の9時半を指している。
「あ?勇哉か、どうしたんだよ、こんな時間に」
少し眠そうな淳司の声。
そりゃ、学校が休みの日くらいゆっくり寝ていたいよな。
でも、オレはイライラして眠れないんだ!!
昨日の夜から働いていて、一睡もしていないのに、眠れない………。
「今から遊びに行こうぜ!テキトウにメンツ揃えてよ」
「はぁぁぁぁ?
オレ今日は、昼からみんなでカラオケの約束してるから、それまで待てよ」
昼……。
後何時間もあるんだ?
「今すぐ!」
「…切るぞ」
オレの我が儘ぶりに、淳司はあっさりと脚下をくれた。
耳に、ツーツーと機械音が流れる。
くっそ!
弘幸は、仕事が終わって速攻寝てるだろうし、誰か起きてて暇そうなヤツ
いないのか?
携帯のメモリーをスクロールしていくと、女の名前ばっかり………。
オレって、もしかして同性の友達いなかったっけ?
うーん。
これは問題有りだぞ。
手当たり次第にメールを打った。
『暇だ!今から遊ぼう』
と。
返事はまばらだった。
おいおいおい!
いくら休日だって言っても、学生がこんな時間まで寝ていていいのか?
みんなもっと活発に起きてろよっっ!
理不尽だとわかりつつも、佳織に対するイライラを、他にぶつけてしまう。
メールの返事を見ていると、着信音が鳴った。
佳織か?
と思いつつディスプレイを見ると咲子って名前だった。
「もしもし?」
「こんな時間から呼び出しなんてめずらしいね。どうかしたの?」
ああ、さっきこいつにもメール送ったっけ?
「暇なんだよ、ホントに」
「じゃあ、今から家においでよ」
「………。」
誘われてもオレ、咲子の家がどこだったか覚えていない。
確か、クラブでナンパして、そのまま家にしけこんだことがあったけど、
どの辺だったっけ?
「それとも私が勇哉の家に行こうか?」
「ああ」
電話を切ってから、オレは咲子の顔を思い出した。
今時のアイメイクばっちりの化粧に、ミニスカートがよく似合うすらりとした
スタイルで、なんとなく、気があったんだ。
それから、クラブで頻繁に顔会わすようになって、気がつけばヤリ友みたいな
関係になってた。
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