嵐の影響で、ずいぶんとアイドルヲタクになってしまった私。
今日も、CRASHがCMしているチョコレートを購入。
だってさ、レジの横に並べてあるんだもん、つい手が伸びちゃうよね。
笑顔で「買ってね♪」と言われてる気分になってしまう。
そんなことを思いながら、買い物を終えて、駐車場に行くと、見慣れた
車を発見。
荷物を両手に抱えて、車に近づくと、スモークを張られた向こう側に、写
真じゃないホンモノの嵐の笑顔が見えた。
「そんな大量に買い物したの?」
両手いっぱいの荷物を見て、苦笑いしている嵐。
「だって、せっかく迎えに来てもらったんだし、いっぱい買っても大丈夫
かな?って、思ったんだけど、ダメだった?」
一人で買い物だとやっぱり、重たいとか考えて、必用最低限の買い物しか
しないんだけど、帰りは嵐が手伝ってくれるかな?なんて期待しちゃった。
「いや、全然OKだよ。
てか、そんなに荷物あったんなら、電話で言ってくれれば、店から車まで
の距離ですらオレが運んだのに」
アクセルを踏み、パーキングを出た。
後部座席から見る嵐は、すごく大人に見える。
かっこいい。
そして、すごく女性に優しい運転をする。
車の運転って、その人の性格が出るって、何かで読んだことがあるけれ
ど、ホントにそうなのかもしれない。
嵐の運転は、いつも優しい。
「じゃ、駐車場から部屋までの距離はお願いしちゃっていい?」
「まかせとけ!」
ハンドルから片手を外し、私に向けてブイサイン。
「うん、まかせた」
やっぱり、男手があるのって、すごく生活が楽になる。
こんなの、部長といた時には経験したことがなかった。
電球を換えるのも、重たい荷物を運ぶのも、部屋の模様替えだって全部自
分でしてた。
でも、嵐は何でもしてくれる。
そういうのは男の仕事だろ?って苦笑いしながら、いつも用事を済ませ
てくれる。
私、こんなに甘えちゃっていいのかな?
でも、やり遂げた後の嵐の表情がすごくかわいくて、私までうれしくなっ
てしまうんだ。
男の人に頼るって事を知らなかった。
部長と付き合ってた時はいつもデートはホテルだったし。会える少ない時
間は甘い事だけってのが多かった。
誰かに料理を作るとか、彼の帰りを待っているとか、そんな時間さえも私
には初めての経験で楽しかった。
恋を楽しんでる。
自分でそう思ってたんだ。
だけど、嵐は違ったんだね。
私は満足してたけど、嵐はもっともっと楽しさを求めていたんだよね。
もっと、私を幸せにしようと考えてくれてたんだね、いつも。
お願い事をすると、嵐はすごくうれしそな顔をして答えてくれる。
私が甘えると、ホントに笑顔を見せてくれて、もっともっと甘えたくなる
んだよ。
でもね、仕事の邪魔だけはしたくない。
どんな恋にも、障害ってあると思うの。
この恋も、どこにでもある普通の恋でいい。
特別なんかじゃなくていいんだ。
それでも、嵐が芸能人だって事だけは忘れちゃいけない。
いつでも、どこでもあなたはカメラマンに見張られてる可能性がある。
そこはずっと、意識しなきゃいけないとちゃんとわかってるよ。
窓の景色を眺めながら、いつもと違う道を通る車。
「嵐、どこか行くの?」
「季節はずれだけどさ、海でも行かね?
もう、この時期なら人いないだろうし、デートしようぜ!デート」
あまりにニコニコと笑顔で言うから、私も釣られて笑顔でうなずいた。
そしたら、もっと極上の笑顔を見せてくれた嵐。
「めずらしいよな、里緒がデートによろこんでくれるのって。
いつも夜暗くなってからだとか、二人じゃイヤだとか言って断ることのが
多いじゃん」
………。
私だって、デートをしたくないわけじゃない。
いつも嵐が誘ってくれるたびに、うれしくなるんだ。
すごく心が弾むんだ。
でも、あなたは芸能人なんだ。
しかも、アイドル。
スキャンダルなんて致命傷になるかもしれない。
それに、私はあなたにふさわしい女なんかじゃない。
だから、人目につかないようにしなきゃいけない。
嵐が気にしないなら、私が気にしなくちゃいけない。
なるべく二人で外で会わないように。
でも
「たまには、いいよね」
自分に言い聞かせるように、小さな声でつぶやいたのに、嵐にはちゃんと
届いてたみたいで、満面の笑みに影を落とした。
「たまにじゃなくて、ずっといいんだよ。
誰に、何に遠慮してるの?
オレがいいって言ってんじゃん。
誰に見つかっても平気だって。
写真撮られても大丈夫だから、里緒はそんな心配すんなよ」
前から思ってたけど、どこからそんな自信が溢れて来るんだろうか?
「事務所が写真を買い取ってくれる、とか?」
疑問を口にすると、嵐は節目がちに微笑んだ。
「まさか!
事務所はそういう事しねぇよ。
わざわざそんな金払ってくれやしない。
ただ、オレらを管理するだけ」
自嘲的にさえ聞こえる発言。
だったら、なんで平気なの?
「写真撮られたりしたら、やっぱりダメだよ」
「いいんだって!
オレさ、恋愛体質なのかもしれない。
だから、いい恋愛してるときが一番いい仕事できるんだよ。
プライベートが順調だと、仕事もスムーズに進むんだ。
ファンだってソレわかってるよ。
どうせなら、堂々としてたいじゃん。
悪いことなんて全然してないんだから」
嵐の言ってる事はわかる。
恋愛が上手くいけば、全て上手く行くような気分になる。
何もかもが順調な気持ちにすらなる。
でも、ソレって多分、致命的。
アイドルとして、致命的だと思う。
それなのに、そんなんじゃ、ダメだよ。
芸能人は、プライベートさえもお金にされてしまうんだからこそ、恋愛
体質じゃいけないはず。
ましてや、アーティストじゃなくて、アイドル。
若い女の子たちのあこがれの存在が、他の女のモノであっちゃいけない。
「悪いことしてなくても、わざわざばらす必用ないよ」
ダメだ。
せっかくのデートなのに、嵐の笑顔が消えてしまう。
わかってるのに、私は言葉を続けてしまった。
「私は、嵐のファンにばれたくない」
嵐は大きく溜息をついて、路肩に車を止めた。
「里緒は、海行きたくねぇの?
オレとデートしたくね?
オレと一緒にいるの、そんなヤだ?」
一気に不機嫌になった嵐。
慌てて私は首を横に振る。
「違うよ、そんなじゃない。
嵐とデートしたいとも思う。
ずっと一緒にいたい。
でも、堂々とじゃなくていい」
コソコソと付き合っていてもいい。
私は嵐の仕事の邪魔になりたくない。
男の仕事の妨げになるほど、バカな女でいたくない。
そして何より恐いんだ。
世間にバレて、嵐と会えなくなるかもしれないことが。
不倫していた女だよ?
嵐の事務所が、許してくれるだなんておもっていない。
自分の事はわかってる。
「わっけわかんね!
お前って、前もそうだったんじゃねぇの?
不倫だったから、デートだってできなかったんだろ?
んでオレとのデートもイヤがる。
隠れたつき合いが好きなわけ?」
酷い。
そんなわけないじゃん。
そんなつき合いが好きなわけじゃない。
だけど、嵐の言葉に何も言い返せなくて、ドンドンと視界が霞んでいくの
がわかった。
私、こんなに弱い女だった?
不倫してた時も、よく泣いていた。
でも、相手の前では泣かなかったよ。
なのに、嵐の前では泣いてしまう。
ドンドンと、素の自分をさらけ出してしまうんだ。
そして、そのたびにホントの私を受け入れてくれる嵐に、私は溺れてる。
「やべっ、言い過ぎた。
ごめん。
泣かすつもりじゃなかったんだ。
ホントごめん」
ほら、今だって運転席から片手を伸ばして私の頭を撫でてくれる。
嵐はいつだって、素直だよね。
そのとき思ったことを口にする。
それが、時には酷い言葉だったとしても、ストレートに私に届くんだよ。
嵐の心が直球で私の元に届くんだ。
それだけで、いい。
あなたの体温を感じるだけでいい。
周りに認めてもらいたいわけじゃない。
「私こそ、ごめん。
せっかく、海に行こうって誘ってくれてるのに、素直になれなくて。
ホントにうれしんだよ?
でも、やっぱり恐いよ、写真とか撮られるのも恐い。
週刊誌に載った後、どうなるかも、恐いんだ」
私も素直になるよ。
「………里緒の気持ちはわかったよ。
オレは大丈夫。
だから安心して?
何があっても、オレはずっと里緒から離れない。
たとえ事務所に反対されても、オレは里緒のそばにいるよ。
アイドルやめても、里緒の恋人でいたいから」
…………。
嵐の言葉はうれしい。
そこまで思ってくれてるってのが、うれしい。
でも、アイドルをやめる必用なんてない。
人にはそれぞれに職業がある。
生活のために働いてる人もいるけど、嵐はそうじゃないでしょ?
アイドルなんて、簡単になれる仕事じゃない。
夢、だったんでしょ?
その目的を忘れないで。
簡単に、私なんかのために諦めたりしないで。
テレビの向こうにいる嵐に、雑誌の中にいる嵐に、私だけじゃない。
たくさんの人が喜びを感じている。
もう、貴方一人の問題じゃないくらいの人気なんだよ。
「嵐、私は望んでないよ。
嵐が芸能人じゃなくても好きだけど、でも、アイドルをやめる必用なんて
ないよ。
働いてる嵐が、好き、だよ」
どう伝えればいいのだろう?
恋に、溺れてるのは私よりも嵐だ。
嵐はその真っ直ぐ過ぎる性格で恋愛してる。
だから、暴走してしまいそうで恐いんだよ。
恋と仕事の両立は難しい。
でも、ソレをしてもらいたい。
「里緒は、仕事ができる男が好きなの?
前の男はそうだったの?
いつも思ってた。
だから、オレに仕事しろって言うの?
いくら稼げば、オレは前の男に勝てる?
ねぇ、里緒、いつになったら、オレだけのモノになるの?
オレはいつでも不安だったよ、里緒の心から、アイツが消えてないって」
溜息をつきながら、フロントガラスを見据える嵐。
そんな横顔を見て、驚いてしまった。
何で、そんなことを思うの?
だって、私はもう部長の事なんて思っていない。
今は嵐でいっぱいなのに。
「私、嵐しか好きじゃないよ?」
信じてもらえなかったことよりも、そんな風に考えてた嵐に悲しく思う。
仕事を頑張る男が好きなんじゃない。
嵐が好きなんだ。
カメラの前で笑ってるだろう嵐。
雑誌を見ながら、そのときの嵐を思い浮かべるだけで、私は幸せになれる。
「………だったらさ、もう仕事の話はしたくねぇ。
オレ、ホントはプラベで仕事の会話嫌いなんだ。
知らなかったっしょ?」
そう言う嵐の表情は、言われてる私よりも苦しそうだった。
こんなはずじゃなかったよね。
楽しい好きを二人でするはずだったのに、どこからすれ違ってしまったん
だろう?
なんで、こんな切ない顔をさせてしまうんだろう。
「わかった、もう言わない。
海、行こっか」
空気を変えるように、無理矢理な笑顔を作ったけれど、嵐はもううなずい
てもくれなかった。
車をUターンさせて、私の部屋へと向かう。
ごめんね、嵐。
辛い思いをさせてたんだね。
私どうしたらいいのかな。
わかんないんだよ。
どうすれば、楽しい好きになるんだろう。
難しいね、うれしいや楽しいばかりの恋をしようと思うのに、どうして苦
しいや悲しいがくっついてくるのかな?
部屋についても嵐は黙ったまま、私は夕飯の用意にとりかかった。
重たい空気が部屋に流れている。
「たまには家にも帰らねぇといけねぇし、また明日来るな」
食後、嵐は切ない表情のままそう言って玄関へと向かった。
その背中を追いかけながら、私は素直になれなかった。
帰らないで。
淋しいよ。
ごめんなさい。
どの言葉も飲み込んでしまった。
「また、明日ね?」
「ああ」
バタンと扉の閉まる音を聞いて、溜息をついた。
こんなはずじゃなかった。
ただ、嵐の笑顔を見たいだけ。
彼を好きなだけなのに、どうしてこうなるんだろう?
恋はやっぱり苦しいものでしかないのかな?
こんなんじゃ、付き合う前の方が楽しかったよね。
嵐、あなたはどう?
楽しい?
私との恋に、疲れていない?
いつかの私みたいに、違う女に逃げようと思うくらい、苦しくなってない?
そんな不安が心に芽生えた。
嫉妬とか、そんなんじゃない。
くやしさと情けなさ。
彼を幸せにできないこともそうだし、楽しい恋をさせてあげられない事
も悲しい。
そして、この恋で初めての不安。
あなたはホントに明日ココへ来るの?
喧嘩なんて始めてだった。
嵐の気持ちも知らなかった。
彼がいつも、部長を気にしていたなんて想像もしてなかった。
彼が仕事の話しを嫌ってたのも知らなかった。
いつも、今日はどんな仕事をしたか話してくれてたけど、嵐には苦痛でし
かなかったのかな?
私、あなたとどんな会話をすればいいのかわからなかったんだよ。
元々住む世界が違う。
もちろん職業も違うけれど、年齢だって離れすぎている。
他に、どんな会話があったって言うの?
私にはわからない。
考えれば考える程に、苦しくなって不安になっていく。
ねぇ、嵐も同じ気持ちだった?
私との恋に不安を感じていたの?
だったらさ、それっていい恋愛なんだろうか?
何がいい恋愛で、どれが普通の恋愛かなんて私にはわからない。
でも、嵐には幸せでいてもらいたい。
ずっと、素直な嵐を曇らせるような思いは味あわしたくないよ。
携帯を開いて、嵐へのメールを打とうとするのに、どんな文章にすればい
いのかわからない。
ただ、ごめんねとあやまる文字だけを入れて、そこから先が動かない。
変わりに嵐からの今までのメールを見た。
たくさんのメール。
一つ一つは文章が短いけれど、どれもこれもたわいもない会話。
不必要なまでの近況報告。
そのどれもが愛しくて、嵐がいつでも私を気にかけていてくれたのを感じ
た。
私は、仕事を理由にして、嵐にメールを打つこともほとんどしなかった。
淋しかったよね?
そりゃ、私の気持ちだって信じられないよね。
これからは、少しでも伝えるようにしたい。
そう思うのに、手が動かない。
何を伝えればいい?
何を伝えなきゃいけない?
嵐を思っている。
愛してる。
だけど、文章にすればすごく陳腐で、気持ちの全部なんて伝えきれない。
なのに、嵐からのメールには愛情が溢れていて、すごく笑顔がこぼれるの。
嵐みたいにストレートになりたいよ。
どんな感情も表に出せるほど、自分に自信が欲しい。
なのに、私にはすごく難しくて、素直になろうとすればするほどに、力が
入ってしまう。
少しでも、愛してるとか、好きだと言葉にするようにしてた。
なのに、どうして上手くいかないんだろう?
嵐、愛してる気持ちはホントなんだよ。
誰よりも好きだよ。
もう、嵐しかいないんだよ、私の心の中には。
結局4文字のごめんねだけを伝えたけれど、嵐からの返信はなかった。
翌日も、朝に起きて仕事に向かう。
月曜から金曜まで決められた時間に出勤する会社勤務。
いつまで、この生活を続けるんだろうか?
派遣社員が多くの事務を担当しているなか、正社員の私の立場は危うい。
会社だって、いつまでも保険をかけてくれてるわけじゃないだろう。
出世の見込みもないのに、日々与えられる仕事をこなしていく。
そこに、楽しみなんて見いだせなくて、つまらない。
ねぇ、嵐。
私の人生は、嵐がいるから潤ってるんだよ。
お願い、一言でいいの。
返事が欲しい。
そう願うのに、携帯は欲しいメールを届けてはくれない。
「はぁぁ」
大きな溜息をつきながら、パソコンでエクセルをしていると、あすかがお
茶を持って話しかけてきた。
「どうしたの?
何かイヤな事でもあった?
今日のランチ、社食でいい?」
「ありがと、別にたいしたことはないのよ。
ランチ、どこでもいいよ」
何が食べたいとかすらも、どうでもいい。
嵐が相手してくれないと、凄く凄く不安になってしまう。
私、嫌われてしまったかな?
もう、このまま終わりになってしまうのかな?
そんな不安な気持ちを抱えたままの私に衝撃的な話題が飛び込んできた。
食堂であすかと向かい合うようにレディース定食を食べてるとき、顔を
近づけて周りを気にするように小声で話し出す彼女。
それは、過去の私に対する罰でしょうか?
妻子ある人を愛してしまった罪による、業なんでしょうか?
「部長、仙台支社に左遷らしいよ。
なんかね、社内不倫してたのがバレたって噂。
愛妻家に見えたのに、意外だよね」
どうして、バレた?
とか、そんな問題じゃなかった。
愛妻家として、よき夫として会社で振る舞っていた部長のメンツを潰して
しまったことと、その代償が部長にしかなかったこと。
私にはどんな内示も届いていない。
なぜ?
「相手、は?」
そう訪ねる私の声は震えていた。
「さぁ、わかんないんだけど、どうやら奥様がリークしたらしいんだよね。
なんか離婚したとかって聞いたけど、ホントかどうかわかんないし」
他人事のように話すあすかに、私はどう写っていたのだろうか?
噂の好きな同僚?
それとも、顔色が変わっていた?
そんなのわからない。
でも、部長に真相を聞きたい思いが溢れてきて、食事もそこそこに、切り
上げた。
「ごめんあすか!
用事思い出したから、先に戻ってるね」
ほとんど手を付けられていない食事を乗せたトレイを返却して、慌てて携
帯を開いた。
さっきまで、心待ちにしていた嵐からのメールが届いていたけれど、そ
れよりも先に私の手は部長へのメールを作成していた。
メールが届いたのか、すぐに部長からの着信。
ためらいもせずに、私は通話ボタンを押した。
「部長?ごめんなさい私知らなくて………。ホントにごめんなさい」
謝りながら、涙がこぼれそうになる。
『君のせいじゃないよ、大丈夫だから心配しなくていい』
社内にいるのだろうか?
里緒と呼ばずに君と言うあなた。
ごめんなさい。
肩身の狭い思いをさせてしまったのは、紛れもなく私。
「会いたい、会ってちゃんと話したい」
私の要求に、無言が広がる。
携帯の向こう側に困った顔した部長の姿を想像した。
「私、部長を困らせる事言ってるのわかってる。
でも、付き合ってたころから、我が儘言わなかったよね?
最後だから、これが最後だからちゃんと会って謝りたいの」
涙がこぼれそうになってくる。
順調に出世街道を歩んでいたあなたを、道から外れさせてしまったのは私
だ。
ごめんなさい。
簡単な気持ちで恋をしたわけじゃない。
けれども、今私はあなたの隣にいない。
それに、離婚したってのはホントなの?
『気にするな、ホントに気にしなくていいよ。
でも、明後日には仙台に行かなくちゃいけないから、その前に最後に里緒
の顔を見るくらい、許されるかな』
優しく諭すような声で、穏やかに喋る部長。
もう、周りに誰もいないのか、里緒と呼んでくれる。
私を恨んでいてもいいはずなのに。
私を罵ってもおかしくないのに、それでも優しく声をかけてくれる大人な
あなた。
私はそんな所がすごく好きだった。
もう、過去の思いだけれど、それでも、過ちには、きちんと償わなければ
いけない。
部長一人に、罪をすりつけるなんてできない。
「今日、仕事が終わったら連絡下さい」
『わかった』
嵐、私はちゃんと罪を償わなきゃいけないんだ。
不倫の代償は、甘くないのかもしれない。
でも、自分の犯した恋から逃げたくはないの。
それが例え過去であっても。
電話を切った後、嵐からのメールを開いた。
内容は、今度こそ海に行こうとのお誘いメールだった。
仲直りをしようとしてくれてる嵐。
だけど、私は笑顔で嵐に会えるのだろうか?
自信がないよ。
部長に会った後、何もない顔で嵐に会える自信がない。
『時間が空いたらメールするね』
それだけの返事を送り、携帯を閉じた。
頬にある涙の後をファンデで消して、いつも通りパソコンに向かう。
取引先にメールを送り、提案書の作成をする。
他にもたくさんしなきゃいけない仕事はある。
時間内にできるだけたくさんこなしていく作業。
だけど、私の心は上の空。
遅く感じる時間の流れの中、苦しい気持ちだけでいっぱいになる。
早く、仕事が終わらないだろうか?
嵐とちゃんと笑って会うためにも、部長にきちんと謝りたい。
長く感じた時間も過ぎ、定時にタイムカードを押して会社を出た。
駅と反対方向にある喫茶店で時間を潰していると、部長がやってきた。
「こうやって会うのは久しぶりだね」
左遷が決まったというのに、落ち込んだそぶりも、焦ってる様子も魅せな
い部長のいつもの顔。
「ごめんなさい、私ホントに謝りきれないことをしちゃった」
「里緒のせいじゃないよ。
オレだって里緒が好きだったんだから、謝られたくないよ。
二人の思いが間違いだったみたいに、思ってるのか?
オレにはその方が悲しいな」
タバコに火をつける指先に視線を移しながら、それでも穏やかな声。
「でも、不倫は間違いなんだと思う。
奥さんにだって、悪いことしてた………、離婚したって聞いたけど、ホン
ト、なの?」
つけたばかりのタバコから紫煙をふかして、少し驚いた表情を見せる部長。
「そんなことまで噂になってるのか?
まぁ、元々上手く行ってなかったんだよ。
里緒と付き合う前から、仮面夫婦だったんだ。
だから里緒が気にすることじゃない。
丁度よかったんだよ、いつまでも愛妻家を演じるのも疲れてたし」
嘘ばっかり。
仮面夫婦だったかどうかなんて知らない。
だけど、愛妻家を演じるのは不快じゃなかったはず。
部長は仕事人間だ。
出世するためになら、どんな演技だってしただろう。
そのために、お得意様の娘を嫁にしたくらいだもん。
大袈裟に言えば、政略結婚。
そこまでして、出世しようとしていた部長。
それを、私が潰してしまった。
「ごめんなさい」
「謝るなって言ったろ?
仙台に行っても、成果をあげて、すぐに出世してみせるよ。
それに、向こうには色白美人もいるかもしれないし、そんな悪いモンだと
思ってないんだ。
ただ、里緒、お前が今幸せなのかが気になるよ」
そこで言葉を句切り、私を優しい瞳で見つめながら部長はさらに続けた。
「恋人と上手く行ってる?
強がりな里緒だから、甘えるのが下手な里緒だからそれが心配だよ。
もし上手く行ってないなら、オレが仙台に連れて行くよ。
もう、嫁もいないし、ちゃんと恋人らしいつき合いができる。
仙台に、行かないか?」
突然の部長の誘い。
思ってもいない言葉。
「……幸せ、だよ」
それでも私は、嵐がいいんだ。
大人な部長は素敵だと思う。
でも、よりを戻すために会ったわけじゃない。
ただ、謝りたかっただけ。
「そうか、じゃ、ふられたことだし、そろそろ帰ろうかな?
引っ越しの準備もしなきゃいけなし、結構大変なんだよ。
何せ、急な話だったからな」
苦笑いしながら、タバコをもみ消す姿。
何度も、寂しさを隠して見つめていたその姿が、少し小さく見えた。
いつも、いつも私は部長を見つめていた。
だけど、もう最後。
これが、最後の別れ。
「今日は呼び出してごめんなさい」
「いいよ、オレらが付き合ってる頃はいつも一方的にオレから呼び出して
たんだよな、里緒の都合も考えずに。
最後の我が儘だろ?
オレは、もっとお前に甘えられたかったよ。
ほら、そろそろ帰ろうか。
家まで送るよ。
もう、誰に遠慮することもなく、里緒と二人でいる所を見られても平気だ
しな」
部長の言葉に、少し焦った私がいた。
「え?
バレちゃうよ、不倫相手が私だったって。
こんな会社の近くで会ったのだって、ホントはかなり勇気が必用だったん
だからね!
それでも、早く真実が聞きたくて……」
そんな私をからかうように部長は楽しそうに微笑みながらうなずいた。
「わかってるよ、大丈夫。
今さら蒸し返すようなことはしない。
でも、別に上司と部下が一緒にお茶を飲むくらい平気だろ?
駅まで一緒に行こう。
二人で、堂々と外歩いてみたいよ。
もう、何も悪いことをしてないんだし、まして付き合ってるわけじゃない
んだ」
部長の言葉に嵐を思い出した。
男の人って、堂々と付き合うのを好むのだろうか?
会計を済ませて、喫茶店の外に出た部長の背中を追いかけながらそんな
事を考えていた私を、驚いたような表情で見つめる人がいるなんて思いも
せずに―――――。
笑いながら、部長と二人で2メートル程歩いた所で、声をかけられた。
「何やってんの?」
それは、凄く会いたかった人の声。
いつもは優しい声。
だけど、すごく感情を抑えた音色で、その瞳は私じゃなく、部長を睨みつ
けていた。
「嵐!」
どうして?
どうして嵐がココにいるの?
戸惑う私の前に部長が立ち、嵐の視界から隠すようにした。
「彼女は悪くないよ、オレが誘ったんだ」
そんな部長の言葉も無視して嵐は私の腕を掴み上げた。
そして一言―――――……。
「ホントは別れてなかったんじゃんっっ」
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